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友情の灯火-日中文化交流協会50周年に寄せて
2006-04-27 00:00
写真(1):初めて訪日した中国映画代表団。右から団長の
司徒慧敏、中島健蔵理事長、趙丹、後列は凌子風=1962年5月箱根


 写真(2):1977年、魯迅展が魯迅ゆかりの仙台など日本の5都市で開かれた。写真は、
神戸会場で挨拶する小説「藤野先生」の主人公・藤野厳九郎さんの甥、藤野恒三郎さん=1977年1月
写真(3):1963年11月、中国作家代表団が訪日。写真は
石坂洋二郎(左から2番目)邸を訪れた有名作家の謝氷心と巴金


 写真(4):松山バレエ団が初訪中し、北京などで公演。写真は「白毛女」のバレエ劇版と
歌劇版でそれぞれ主人公「喜児」役に扮した松山樹子(左)と中国の王昆=1958年3月


写真(5):指揮者の小澤征爾は1978年6月、北京の首都体育館で中国中央楽団を指揮し、演奏会
を開いた。写真は演目を終え、1万8千人の観客に花束を掲げて挨拶する小澤征爾=1978年6月16日


 写真(6):訪中し、北京郊外の万里の長城を訪れた俳優の高倉健、吉永小百合、田中邦衛=1986年6月


写真(7): 日中文化交流協会の白土吾夫氏(左)に楚図南の掛け軸を
贈る中国人民対外友好協会の王燦炳南会長=1983年12月2日


写真(8): 2005年、作曲家の故・團伊玖磨氏の著書「パイプのけむり」出版記念会が北京で
開かれた。写真で挨拶する女優の栗原小巻は、日中文化交流協会代表理事も務める=2005年5月17日


   日中文化交流協会が成立したのは1956年3月23日。筆者は最近、雑誌「日中文化交流」の編集部から「創立50周年記念特集」を受け取った。計100ページの特集号は、同協会の重要なできごとを記した「年代記」といってよい。1年毎に、2ページ分を使い、充実した写真と文章で日中文化交流の足跡を辿っている。(人民日報国際部于青)

   筆者は、文豪巴金が、日本の友人に語ったという言葉を想起せずにいられなかった。「私にとって友情とは、私の命にともる1つのともし火である。このともし火から離れては、私の存在は鮮やかな輝きを失い、私の命は、何の実も結ばないだろう」。

   特集号の編集者と話し合い、日中文化交流協会の同意を得て、人民日報国際版に、特集号からいくつかの写真を転載する。両国の諸先輩が切り開いた困難に思いを致し、文化交流による多彩な友情を改めて振り返り、先の世代の人々に心からの敬意を表すためだ。 


   「人民網日本語版」 2006年4月26日
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