友情の灯火-日中文化交流協会50周年に寄せて
2006-04-27 00:00
写真(2):1977年、魯迅展が魯迅ゆかりの仙台など日本の5都市で開かれた。写真は、
神戸会場で挨拶する小説「藤野先生」の主人公・藤野厳九郎さんの甥、藤野恒三郎さん=1977年1月
日中文化交流協会が成立したのは1956年3月23日。筆者は最近、雑誌「日中文化交流」の編集部から「創立50周年記念特集」を受け取った。計100ページの特集号は、同協会の重要なできごとを記した「年代記」といってよい。1年毎に、2ページ分を使い、充実した写真と文章で日中文化交流の足跡を辿っている。(人民日報国際部于青)
筆者は、文豪巴金が、日本の友人に語ったという言葉を想起せずにいられなかった。「私にとって友情とは、私の命にともる1つのともし火である。このともし火から離れては、私の存在は鮮やかな輝きを失い、私の命は、何の実も結ばないだろう」。
特集号の編集者と話し合い、日中文化交流協会の同意を得て、人民日報国際版に、特集号からいくつかの写真を転載する。両国の諸先輩が切り開いた困難に思いを致し、文化交流による多彩な友情を改めて振り返り、先の世代の人々に心からの敬意を表すためだ。
「人民網日本語版」 2006年4月26日